フィリピン田舎生活ブログ

フィリピン パンガシナンに移住しました。

ダバオ

20数年前に小さな一軒家を借りて日系人を探しVISA取得のサポートをする会社を始めた街です。

ドゥテルテがまだ市長時代に君臨していた街で当時のフィリピンではありえないほどのクリーンな場所でした。

タクシーも全てメーターで町中もきれいだし薬物とタバコに厳しく治安も良かった。
たまにハーレーに乗るドゥテルテを見かけることもありました。

日本帰国後に始める派遣会社で働いてもらう為に日系人が多いといわれるダバオに事務所を開き戸籍謄本を所持している日系人を探していました。
これがなかなか大変で日系人と思われる人は結構いるのですが、戸籍謄本がない。

事務所で待つだけでは埒が明かないので、CDに日系人募集の文言をふきこんでもらい、石炭やマグネシウムを探すのと同時並行でダバオからイロイロ、セブ島、マニラ、バギオまでラジオ局を回り、そのCDをながしてもらったりチラシを配ったりしながら、なんとか3家族のVISAを取得することが出来ました。が、なかなか手間のかかる作業で2年も経たずに事務所を閉めることになりました。

日本に帰国後、始めた派遣会社の最初の従業員はこの事務所でVISAをとったモナラさんとモナペラさんの親子で開業資金などほとんどない私は自分のアパートに2人を住ませて、営業で工場を回り、なんとか派遣契約をとり最初の収入で2人のアパートを借りて、次はそのアパートに新しく呼んだモナラさんの家族を住ませ、また営業に回るの繰り越しで、なんとか軌道に乗せて、結局リーマンショックで会社をたたむまで順調に会社を営むことが出来ました。

収入は良かったものの働くのが嫌いな私には忙し過ぎる仕事でリーマンショックで会社をたたむ時、解放された気持ちになったものです。

借金をすれば続けることはできました、事実周りの派遣会社は借り入れをして事業を継続しました。
私は借金を背負ってまでやりたいことではなかったのでリーマンショックを良い機会ととらえて、その時いた従業員を派遣先の工場や知り合いの派遣会社に雇ってもらい会社を畳みました。

個人的な感想ですが派遣と言う仕事はどこまでいってもピンハネ業で善か悪かで分ければ確実に悪です。二度とやりたくないことの1つです。



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